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深読み!近鉄プロファイル第1章

 「近鉄プロファイル」シリーズにアドバイザーとして参加した鉄道著述家の山邊誠氏が、作品中では紹介しきれなかったとっておきの情報や、作品の見どころについて語ります。

           山邊 誠

           1961年8月大阪生まれ。幼少の頃、両親につれられて必     

           ず通った、あべの天王寺界隈に集まる鉄軌道に心を奪わ

           れ、中1の時、それらを再確認することから鉄道趣味がスタ

           ートする。その後、近畿圏の私鉄・地下鉄を中心に研鑽。そ

           の成果は、鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、とれいん各誌上

           に、随時発表されている。著書に、『日本の私鉄 近鉄

           (諸河久、山邊誠共著 保育社)がある。

近鉄プロファイル第1章

鉄道プロファイルシリーズに、近畿日本鉄道が登場!

 近畿東海2府4県に広がる路線網(養老鉄道・伊賀鉄道を含む)を持つ近鉄を、4巻に分けて、路線・車両・駅はもちろん、その歴史、沿線風景、観光スポットなどを地上から、あるいは空からと様々な角度から飽きさせることなく、丹念に紹介していきます。

 第1章では、2009年から阪神電気鉄道と相互乗り入れが始まった活気あふれる奈良線、古都京都から日本の歴史の中枢を走り抜ける京都線・橿原線、大阪市営地下鉄中央線と乗り入れる近未来的なけいはんな線、さらに支線である生駒線・田原本線・天理線、生駒山上遊園地へのアプローチでユニークな車両が走る生駒鋼索線を取り上げています。

 その中で、いくつか興味のあるところをご紹介しましょう。

 大阪上本町布施間の複々線区間は1956年に完成しましたが、「大阪電気軌道株式会社30年史」によると、同区間の複々線化に備えて用地を昭和10年代頃から確保しており、さらにこの用地を利用して1937年の鶴橋今里間の高架工事が行われたそうです。複々線は北側2線が奈良線、南側2線が大阪線の線路別配線でしたが、布施駅付近の高架工事に伴い1975年に方向別に改められたことはDVDでも述べられていますが、この時、大阪上本町鶴橋間でも地上線の大阪線下り線と地下線の奈良線上り線を立体交差させる工事が行われました。

 旧生駒トンネルの大阪側は、そのまま残されていますが、けいはんな線生駒トンネルの非常口も兼ねています。また、奈良線は現在の生駒トンネルに移りましたが、送電線はいまも旧生駒トンネルに沿って生駒山系を越えて奈良側へと渡されています。

 

生駒鋼索線は、宝山寺1号線・宝山寺2号線・山上線の順に開業しましたが、宝山寺1号線は、開業時、巻き上げ機の動力は直流550Vでした。その後、1926年に宝山寺2号線と同じ三相交流440Vに改められています。

 現在、生駒鋼索線で使われている車両のうち、宝山寺2号線のコ3形は戦時中に撤去されていた同線が1953年に復活した際に作られた車両です。また、宝山寺1号線のコ11形、山上線のコ15形は2000年にそれまで使用されていたコ1形、コ5形と置き換えたものです。ブル・ミケ・ドレミ・スイートのそれぞれの顔はFRP製で鋼製車体に取り付けてあり、もし、違うテーマの車両にすることがあれば、新たな顔を製作して取り替えることが出来ます。さらにコ11形・コ15形は、非常用ブレーキとして他の鋼索線車両と同様、テオドル・ベル式ブレーキを備えているが、なんと電気指令式になっています。他の車両はブレーキが作動すると機械的に制動をかけますが、コ11形・コ15形は電気指令にて制動をかけるようになっています。

 けいはんな線の学研奈良登美ケ丘延伸時に、生駒から東生駒車庫までは同車庫の入出庫線を利用して延伸されました。その際、複線化する必要がありましたので、並走する奈良線を南側に1線分ずらして移設、旧奈良線下り線をけいはんな線の上り線に転用しています。

 鉄道会社の歴史を見ていくといろいろな動きがあるのですが、注意しなくてはいけないことの一つに、社名の変更があります。最近では、CI(コーポレート・アイデンティティ)による変更が多いのですが、創業期のころでは経営上やむを得ない理由で変わることがあります。「信貴生駒電気鉄道」から「信貴生駒電鉄」への変更もその一つで、この場合は、王寺-山下(現、信貴山下)間の鉄道線・山下-信貴山間の鋼索線を開業させた信貴生駒電気鉄道の経営状態が良くなかったので、新しく信貴生駒電鉄を起こし、これに譲渡する形で事業整理を行い存続させたものです。山下-生駒間・枚方線枚方東口(現、枚方市)-私市間(1939年に交野電気鉄道として分離、1944年に京阪神急行に合併)は、信貴生駒電鉄の手で建設、開業しました。

1983年に廃止された東信貴鋼索線は、日本で3番目に開業したケーブルカー(2番目は箱根ケーブル)で、数少ない戦時中も営業していたケーブルカーでもありました。この線の巻き上げ機も開業時は直流600Vで、のちに直流550Vに交換され、廃止されるまで直流のままで運転されていました。東信貴鋼索線以降に開業したケーブルカーの巻き上げ機の動力は、すべて交流である。箱根ケーブルも直流でしたが、こちらも後に交流に改められています。

 京都線京都丹波橋間は、DVDも述べられているように、元国鉄奈良線京都桃山間の廃止区間です。元々、国鉄東海道本線大津京都間が逢坂山トンネル経由で、国鉄奈良線京都桃山間が伏見経由で建設されたのですが、東海道線の方は勾配が続く運転上の難所でしたので、同区間は1921年に山科経由に切り替えられました。このときに旧東海道線の京都稲荷間を奈良線に転用(稲荷桃山間は新設)、伏見経由の旧奈良線が廃止されました。これを奈良電は払い下げてもらい、京都までの路線に活用したものです。

 丹波橋で京阪線と相互乗り入れをしていた頃は、それぞれ乗務員も車両と共に相手線に乗り入れていました。

 近鉄には、7線区、改軌工事を行った線区があります。改軌工事が行われた順に、天理線・名古屋線(伊勢中川江戸橋間)・田原本線・名古屋線・鈴鹿線(伊勢若松鈴鹿市間)・湯の山線・志摩線です。そのうち、第1章で取り上げられているのは、天理線と田原本線です。

 天理線は大阪電気軌道に合併後、大阪から天理への直通運転のために762mmから1435mmへの改軌・電化工事が行われ、約2ヶ月間の工事期間を経て1922年4月1日に完成しました。

 田原本線は、戦後の疲弊した状況から輸送力を確保するために、大和鉄道時代の1948年6月15日、こちらも約2ヶ月の工事期間を経て、1067mmから1435mmに改軌、同時に電化されました。改軌・電化後は、大和鉄道では車両を持たず、近鉄からモ200形(旧大軌デボ1形・デボ19形)を借り入れて運転、DVDで紹介された田原本線連絡線は、このときに設置されています。

DVDで紹介された車両以外にも、興味ある車両がさりげなく映し出されている場面もあり、例えば、近鉄で唯一のステンレスカー3000系や、8400系で先頭車両を中間車改造したモ8459やモ8461を組み込んだ8409編成や8411編成などが画面に登場しています。それらを探してみるのも面白いでしょう。

空撮映像は、普段地上からしか見ることのない景色と違い、近鉄線がどのようなところを走っているのかが、よく分かります。それ以外でも、それぞれ興味ある事、例えば歴史であるとか、沿線風景であるとか、などに注目してこのDVDを見ていかれると、また違った目で「近鉄」を楽しめるのではないかと思います。

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